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山口県を縦断、自転車でぶらーり一人旅、自転車の視線で、県内あちらこちらを、旅していきます。エコでSlowな山口県の旅を提案してまいります。




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雨に降られた(^^ゞ 美東〜厚保
平成19年9月24日(月)祝日のち
今日は、天気はあまりよくないが、秋芳町から、美祢方面へ、走る。
435号線をどんどん西へ進む。


右へ曲がれば、秋吉台カルストロードだ

右は、秋芳役場や、美祢高がある。

右の山の麓にあるのが美祢高

秋芳役場も、見えるかな?
のどかな風景が続く

T字路に突き当たる。右に曲がると、国道32号線長門へ続き、左は、国道435号線美祢へと続く。

厚東川を渡り、突き当りを左折。

コスモス畑をみつけた
山露 左は、小郡方面

このあたりは、大きな工場がある。
ここからも長門に抜けられる。
美祢市に入る
ゴルフ練習場

左に、中国自動車道が見えた。コスモスが風に揺れている。

150m先に美祢インターチェンジがある。
道路工事の交通整理している、おねえちゃんが、通って良いと指示するが、おいら写真を撮りたいんだよね
美祢インターチェンジ

平日でも、車は多いぞ!一般道からインター入り口が見えるのは珍しい。
 ここは、美祢市伊佐
宇部興産セメント工場が見えた。

宇部興産専用道路がある。
お店のすぐ後に煙突が見える
さすが美祢市。
大理石で出来た公衆トイレ。思わず、利用したくなる。
伊佐中学校

近くに来たらでっけーなー


国行交差点
右は、長門。左は、山陽小野田。最近新しく道が出来て、交通ルートが豊富になった。オイラは、まっすぐ進む。
美祢警察署
NTTの鉄塔。
この向かい側に美祢市役所がある。市民館、図書館が隣接する。
美祢市化石館
アンモナイトのレプリカ
吉則下交差点
435号線へ進むと、大嶺高校の前を通り、豊田へ出る。
オイラは33号線を走る
厚狭川を渡り、南大嶺へ進む。

JR美祢線、厚狭川と平行して、どんどん下関方面へ進む。あと4Kmで美祢西インターチェンジだ

美祢西インターチェンジ

左に行くと、厚狭へ
明治維新ゆかりの志士
来島又兵衛の像があるらしい。行ってみることにした。
美祢市立厚保小学校

厚保小学校があるだけで、銅像らしきものが見当たらない。学校の敷地をうろうろ探す。
休日だから大丈夫だけど、学校関係者がいたら不審者として捕まるぞー

校庭の奥に、来島又兵衛の像があった。こんなところじゃあ、わかんないはずだよ!!
山のそばに見えるのは、土砂崩れを防ぐ砂防ダムのようだ。
来島又兵衛の像
りりしい

地元の有志が建てた像である。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜維新の志士 来島又兵衛翁 事蹟
又兵衛翁は、文化14年(1817)小野田市高須の萩藩士、喜多村正倫の次男として生まれ、幼名は亀之進。天保7年(1836)20歳で長門市俵山の萩藩士来島又兵衛政常の養子となり西厚保町本郷の永代大庄屋格の来島清三郎の長女タケと結婚。
 結婚1年後、妻の実家のあるここ厚保小学校運動場の側に居宅、剣術道場を構えました。人並みはずれた、立派な体格の持ち主だった翁は、ここで剣、槍、鉄砲、馬術等すべての奥を極めていきます。
嘉永4年(1851)には家督を継いで来島又兵政久と名乗ります。。
 藩主の信任が厚かった翁は、安政2年(1855)には大検使役に、文久元治(1861〜64)には江戸御留守居手元役、学習院御用掛、馬関総奉行手元役と藩の要職を歴任しました。
 文久3年(1863)5月下関で外国船を撃つ攘夷戦の際はおおいに奮戦、しかしその直後公武合体派によって攘夷派長州は京都を追放されてしまいます。これに憤慨した翁は攘夷派長州の京都復帰を果たすため、「進発論」を主張し元治元年(1864)遊撃軍を率いて大挙上京7月19日蛤御門において公武合体派の薩摩・会津軍と戦いますが翁自身は薩摩軍に狙撃されて、戦士(48歳)。長州軍は敗走。しかし、翁のこの決死の活躍が慶応元年(1865)正月の高杉晋作決起、明治維新への起爆剤となっていったのでした。明治24年には、正四位が贈られています。吉田松陰先生は翁の人となりを、「飛耳長目」の人、「胆力人に過ぎ清算密思あり」と評されました。
「昭和9年地元有志の努力によって翁の像を建立しましたが、その後像供出によって台座を残すだけとなっていました。幸、明治維新130年にあたる平成10年に翁の功績を後の世まで語り継ごうと、地元の皆さんとともに再び翁居宅ゆかりのこの地に又兵衛像を建立することに致しました。」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

又兵衛の後姿 さすが体格がよくすべての武術に長けていた様がよく分かる。
30Km走ったようだ。
これで引き返すことにしよう!
すぐ横を高速道路が走る。
雲行きが怪しくなってきた。急いで帰ろう!!

厚保中学校の前を抜け

四郎ヶ原駅を通り
厚狭川を横目に
美祢市役所まで戻った。

美祢市に入り、ここから大雨に見舞われた。
バス停の軒下で、雨宿り。車で、通る人がずぶぬれの野良猫を見るような目で、横目で見ながら通り過ぎていく。
小降りになっては、進み、小降りになっては進みと、来た道を進むが、どうやらおいらと一緒に雨雲が流れているようだ。秋芳町を抜け、美東の道の駅に着いたときには、雨雲はなくなっていた。道がぬれていないので、ここは降らなかったのだろう。
コンビニでアンパンと牛乳を買い、ずぶぬれのおいらは遅い昼食をとった。
やっぱり、さすがのオイラも雨には勝てないなー
| 美東道の駅から厚保まで(雨に降られて) | 09:10 PM | comments (x) | trackback (x) |
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