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世界遺産『石見銀山』へ行く
平成19年10月24日(水)
先日10/12に島根県 津和野に行ったので、その先にも行ってみたいと思う。
うーん。最近、世界遺産になった、島根県大田市大森町の「石見銀山」へ行こう!!
自転車では絶対無理なので、まず、大田市へ自転車を積んで行き、町を走ることにした。

朝9時に家を出る。弘子さまには行き先は告げなかった。本当に、大田市まで行けるかさえもわからないので、余計な心配はかけない。
12時半島根県大田市に到着。ここは、「石見銀山世界遺産センター」
どうやら、世界遺産に選ばれ、急遽使った施設のようだ。まだ、正式なオープンではない。2008年10月にフルオープンするようだ。
中は、写真撮影禁止であった。パネルや、石見銀山周辺の模型が飾られていた。
ここに駐車して、シャトルバスが石見銀山まで、運行している。

銀山で亡くなった人々の霊を供養するために25年かかって代官や代官所役人、領内の人々の援助によって石窟内に石造の五百羅漢500体を納め、その維持のために羅漢寺を建て、石橋などを築いた。


山の傾斜を利用して、石窟を掘っている。この中に羅漢寺五百羅漢(らかんじごひゃくらかん)があるのだ。

中国にもこのようなお堂はたくさんあるが、仏教のルーツだなー。

江戸時代、寛保の頃(1741〜)大森の観世音寺住職、月海がこつこつと彫り続けたものだから、260年以上の歴史がある。

中央の石窟には、三尊仏がおかれ、左窟には、木蓮尊者を中心に351躯、右窟には南尊者を中心に250躯の羅漢像が置かれている。

羅漢寺は、平日でもにぎわっている。

石でできた、太鼓橋も、すべて岩をそのまま掘っている。
昔の石工は、すごいなー!!

この高い位置に作られた、宝篷印塔は明和8年(1771)亡き四女宗武の供養につくられたもので、その雄大さが特筆され、石窟に通じる石橋と共に、五百羅漢を特徴付けている。

まっすぐ行くと、大森町。

このとおりが、大森町。当時のまま残されている。右側にある、白い壁の家が、熊谷家。
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熊谷家は古文書などによると、先祖は毛利家の家臣であったと伝えられ、江戸時代初めから旧銀山町(銀を産出した仙ノ山一帯)に住み銀山附役人(ぎんざんつきやくにん)を務めたとされています。
 由緒書などによると享保14年(1729)、旧大森町(現在の大森の町並み一帯)の田儀屋(たぎや)が熊谷家の名跡を継承し、このときに旧大森町に熊谷家が成立したとされています。家業である鉱山業や酒造業とともに代官所に納める年貢銀を秤量・検査する掛屋(かけや)、幕府直轄領である石見銀山御料の支配を担う郷宿(ごうやど・ごうしゅく)、代官所の御用達(ごようたし)を務め、当主は代々大森町町年寄に就くなど石見銀山御料内で最も有力な商家でした。
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石見銀山御料郷宿泉屋遺宅
江戸時代、石見銀山附御料150余料は支配上六組に分けられていた。18世紀の頃は大森には、6軒の郷宿が設けられ、公用や出かける村役人等の指定宿として、また代官所から村方への法令伝達等の御用を請け負っていた。文献から、泉屋の主人川兆氏は文化7年(1810)まで「波積組はづみぐみ(現在の江津市の一部)」の郷宿を勤めたことが知られている。
建物は外装を漆喰で塗籠め、軒瓦に家紋を入れるなど堂々と風格を供えている。
敷地は寛政11年(1800)の大火の焼炎を免れた位置にあり町並みの中で最も古い建物です。

古い家を利用して、お土産やを営む。

センターのお姉ちゃんに襲えてもらった、そばやだが、観光客の団体の貸切のため、入れなかった。

この蕎麦屋で食べることにする。
西本寺。センターで貰った地図によりと、寺や神社がすごく多い。ざっと数えただけでも、たった、2Kmの間に16もあった。

西本寺の前に下河原吹屋跡がある。

当時、吹屋では、運ばれた鉱石を運鉱して、素石(すいし)を除き、これを吹床(ふきどこ)で鉱石分を溶かし、銀を採りました。

当時の最も栄えた様子を知る、重要な手がかりらしい。


豊栄神社
毛利元就自身が自らの姿を彫ったという木像が御神体。同社はかつて曹洞宗の長安寺で、一説には元亀2年毛利輝元が、元就の木像を戦火から守るために、同寺を建立したという。
名前や、いわれにはふさわしくなく、荒れている。もう少し手入れしないと、名が泣くぞ!!

龍源寺間歩まで、わずか2Km。バスより、歩くほうが楽しみながら行ける。
でもオイラは、チャリですいすい行く。

福神山間歩(ふくじんやままぶ)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この間歩まぶ(坑道)は採掘にあたった山師個人が経営した「自分山」のものですが、一時期、代官川崎市之進(1767〜78)のころには、代官所直営の「御直山」の坑道になったこともありました。「御直山」は天保15年(1844)には23ヶ所まで増えますが、「自分山」は享保14年(1730)に55ヶ所もあったものが、天保15年には9箇所となってしまいます。
石見銀山には、主な鉱脈が32本あったと伝えられており、そこから岩盤の亀裂に沿って、30cm前後の幅で鉱石を含んだ支脈が延びていました。
この間歩は坑口が3箇所あって、上段の坑は空気抜き坑、下段の2坑は中でつながり、説明坂のある道路の下2mほどのところを通って銀山川の下をくぐり、後ろにそびえる銀山の最高地点「仙ノ山」の方向に掘り進んだとつたえられ、「仙ノ山」の逆方向へ向かって坑口が開いている珍しい間歩です。
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団体さんも、歩いている。杉の林の中を歩くのは、気持ちが良い。

道路わきには、銀山川が流れている。金や、銀を掘るには、川が重要だ。

龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)受付。
「間歩(まぶ)」とは、坑道のことを言う。仙ノ山には約600の間歩跡があるといわれるが、唯一一般公開されている間歩である。壁面には当時のノミの跡がそのまま残っている。江戸時代中期、代官所直営の間歩(御直山)として操業された。

向こうにあるのは、駐車場。昔は、ここまで車では入れたが、世界遺産になってからは、シャトルバス以外は、通行禁止になっている。

入口前にある石碑の前で、中学生が観光ボランティアの説明を受けている。

ここが、入り口だ。
木の枠で、作ってあるだけ。おそらくこれがなければ、つぶれて、入り口がわからなくなるんだろう!

龍源寺間歩〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
江戸中期以降に開発された間歩(坑道)で、「御直山おじきやま」と呼ばれた代官所直営の操業地にあった坑道で、「御直山」の中でも銀山を代表する「五か山」の一つです。
坑口の横には番所(管理小屋)を設け、四つ留と呼ぶ坑木を組み合わせて坑口としています。坑道は、ほぼ水平に約600m掘り進んでおり、高さ1.6〜2m、幅0.9〜1.5m、採掘と同時に鉱石運搬の幹線坑道としても使ったようです。内部の岩質は角礫凝灰岩、坑道の壁面や天井にはのみ跡が残り、鉱脈を追って掘り進んだ小さな坑道(ひ押し坑)や上下方向に延びる斜坑を見ることができます。排水用の坑道でもあった下の「永久坑」へ降りる垂直の竪坑も残っています。
坑道は入口から水平に約630m続いており、そのうち現在公開している坑道は、156mまでで、そこから新しく掘った116mの連絡通路で栃畑谷へ通り抜けるようになっています。床面の高さは入坑しやすいように一部で掘り下げたところもあります。
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当時掘ったままで残っているようだ。

暗いが、(あたりまえか)フットライトで先へ進む。

いたる所に、鉱脈を見つけて掘った跡がある。

たくさんあるが、立ち入り禁止の看板。そりゃ危ないよ。

この立坑は排水坑です。龍源寺間歩に溜まった水は、約100m下の永久坑道へ排水したといわれている。ということは、この竪穴は、100mも下に落ちるってことなのか。
ライトで、コケが生している。

ちょっと広く場所を取ったところに出た。
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ここは入口から約160メートル地点です。坑道は、左にカーブしながら195メートル地点で落盤のためふさがっています。
ここから奥は、高さ約2メートル、幅約90センチで大人がやっと通れる大きさで、江戸時代に掘られたものです。
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観光ボランティアさんが、みんなに聞いていた。
「昔は、明かりはどのように取っていたと思いますか?」「ろうそく」「ちょうちん」「懐中電灯」いろいろ答えていたが、「サザエや、はまぐりに、えごま油を入れ芯をたらして、火をつけていました」

石見銀山の資源は、今から百数十万年前に地下に存在した、銀をはじめ金、銅などを含む熱水の働きにより誕生しました。
坑道の岩石は、白色〜灰色の石英安山岩と呼ばれるものです。
この岩石の表面には同じ方向に何本もの割れ目(断裂・クラック)があることがわかります。
この割れ目は、幅が数mm〜数mあり、割れ目に沿って熱水が通過することで、銀・金や銅といった金属が蓄積されました。
このように、岩石の割れ目に沿って金属が蓄積された鉱床を「鉱脈鉱床」と呼んでいます。

多分、世界遺産になったので、バリヤフリーにしたのだろう。緩やかな広い、通路を登ると、外に出た。
入り口と同じような建物で、一瞬見間違うようだ。

道路まで出るのに、お土産屋があった。


中では、銀鉱石、銀メッキのものなど、売っている。

石見銀山の銀工師の、のれんが。

これまた、杉の林がずっと続いている。


石見銀山はこんな山の中にあるのだから、林ばかりで当たり前だ。
山のちょっとした谷間に、銀を精製するための町が栄えているわけだからね。


石見銀山跡佐毘売山神社


清水谷精錬所跡
明治26年から建設され、わずか1年半あまりで閉鎖された明治の先端技術による製錬所の遺跡。




マメ知識〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「世界遺産」とは?
1972年、ユネスコ総会で採択された『世界遺産条約』(「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」)に基づいて、人類共有のかけがえのない財産として「国際的」に保護・保全していくことが義務づけられている「遺跡」や「建造物」、「自然」などのことを世界遺産と言います。世界遺産に登録されるには、ユネスコの「世界遺産委員会」において、資産の内容が、他に類例のない固有のものであり、国際的に決められた判定基準に照らして「顕著で普遍的な価値」があると認められることが第一の条件です。また、資産の価値にふさわしい、有効な保存管理が手厚くなされていることも、必要条件となっています。

「日本の世界遺産」は?
1.法隆寺地域の仏教建造物       (奈良県) :1993
2.姫路城                 (兵庫県):1993
3.屋久島                 (鹿児島県):1993
4.白神山地            (青森県・秋田県):1993
5.古都京都の文化財           (京都府・滋賀県):1994
6.白川郷・五箇山の合掌造り集落     (岐阜県・富山県) 1995
7.厳島神社            (広島県) :1996
8.広島平和記念物(原爆ドーム)     (広島県):1996
9.古都奈良の文化財           (奈良県):1998
10.日光の社寺           (栃木県) :1999
11.琉球王国のグスクおよび関連遺跡群 (沖縄県):2000
12.紀伊山地の霊場と参詣道      (三重県・奈良県・和歌山県):2004
13.知床                 (北海道):2005
14.石見銀山遺跡とその文化的景観    (島根県):2007

        *屋久島、白神山地、知床は自然遺産、そのほかは文化遺産
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| 世界遺産『石見銀山』 | 08:21 PM | comments (x) | trackback (x) |
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