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錦鶏の滝・萩往還

平成19年6月15日
錦鶏の滝


一の坂川の上流の谷に男滝、女滝のおおたきがあります。
男滝は、高さ約60m幅は約15m白い布をさらしたような滝の水はいわにあたって雪と散り涼しさをまします。
滝のそばに不動明王などの石仏があります。周囲の老樹もよく滝の景観を助け、夏の一日をここに清遊する人も多くあります。一年を通じ水量もあまりかわらず美しい滝です。


萩美術館に行く途中、涼を求めて、錦鶏滝に寄って行くことにしました。


  雌滝
  雄滝

 萩往還入り口

萩往還は、江戸時代のはじめ萩城と三田尻(防府市)の御舟倉を結ぶ、参勤交代の道として整備された街道です。
行程は12里(約53Km)ですが、政治的に重要な道であったため、道幅2間(約4m)の大道として位置づけられました。
そのため、利用する人も多く、山口県の歴史にとって大変意義のある道といえます。
しかし、中国山脈を最短距離で越える此のルートには、険しい坂や峠が多く、道行く人たちにとっては苦労の多い旅であったと思われます。
 途中には、石畳が敷かれ、御駕籠建場(おかごたてば)や御茶屋が設けられ、復元された建物もあります。
 遠い江戸のつながるこの道を武士や庶民そして憂国の志を抱いた維新の志士たちはどんな思いで歩いたことでしょう。
歴史の道を踏み締めて、その鼓動を確かめながら、ゆっくりと歩を進めてください。





   一の坂御建場跡(六軒茶屋跡)
「お成り道」(参勤交代や領内巡視用の道)として整備された萩往還は一里ごとに一里塚が設けられ、各所に往還松が植えられていました。
また、藩主一行の通行に伴う各種の施設もつくられました。このうち、「御建場」や「お茶屋」は比較的長時間休憩する際の施設でした。また「駕籠建場」は見晴らしの良い場所で駕籠を降ろし、殿様一行が短時間休むばしょとして設けられていました。

往還の中間地点でかつ最大の難所であったここ六軒茶屋には「一の坂御建場」がおかれました。その設計図面(差図)が山口県文書館に残されています。
 この地に部分的に復元してある建物群の配置は、この設計図面を参考にしたもので、江戸時代のある時期の「一の坂御建場」を想定復元したものです。
 六軒茶屋という地名はすでに江戸時代中頃にはでてきますが、宮野の八丁峠を越えて萩へ通じる新しい道ができたのちも、ここ六軒茶屋では、民家の軒先を茶店にし、往来する旅人のよい休み場所になっていました。
 なお、「一貫石」の近辺に、駕籠建場と呼ばれているところがありますが、ここにも駕籠建場の施設が置かれたといわれています。




吉田松陰先生と夏木原

江戸幕府により東送を命ぜられた先生は、安政六年(1859)五月二十五日、萩から江戸への途中一行と共に、萩往還に沿うこの地でしばしの休息をとられた。
そのときの感慨を先生はこの漢詩(七言絶句)に託されたのであった。その意は
「私は幕府の命令で江戸に送られるが自分の真意は天の神に正したらわかるはずである。自分は、公明正大である。
ここ夏木原では、五月雨がしとしとと降り、ほととぎすがしきりに鳴いている。
ほととぎすは血を吐くまで鳴くと言うがその血でこのあたりのさつきつつじも真紅に燃えている。自分の胸中もまた同じおもいがする」と。
わが国の現状を憂い、行く末を案ずる先生の心情がよくあらわされている。
先生 時に満二十八歳

上長瀬一里塚

一里塚は、徳川幕府開設直後の慶長九年(1604)に江戸の日本橋を基点として、全国の主要街道にその築造を命じたのに始まるといわれる。
防長両国では、同年毛利輝元の築城により、城下、唐樋札場(萩市東田町)を基点として、主要道に一里(約4Km)おきに設けられた。
萩往還には12基が設けられ、上長瀬一里塚は、萩唐樋の札場から5里の地点に当たる。一里塚は路傍の緩斜面に不整形な大小の岩石を集積して墳形をつくり、かっては半球形に近い整った形であったと思われる。旧記によると「従三田尻船場七里、従唐樋札場五里」と書いた塚木を立てていたが、元治元年(1864)防長両国の一里塚を廃して常緑樹に改めた。そのため土台の部分も手入れの必要がなくなり多くは崩壊してしまったが、萩市悴坂(かせがさか)と上長瀬のものはほぼ原型をとどめており、数少ない近世の交通関係遺跡として貴重である。
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おまけ
萩美術館で楽しみ、食事を済まして帰路に着きました。道案内人が、舟をこぎ始め、運転手は、おおわらわ。佐々並を通って帰ると、あらかじめ聞いていたが、果たして、道はたくさん岐路があり右折なのか左折なのかさっぱりわからない
どんどん進んでいくと、なんと、山ノ口ダムの標識が
 あっ山口だ!!ラッキー
と思ったのもつかの間、道は行き止まりになった。


ついたところは、大板山たたら製鉄道跡地だった。この遺跡は、日本古来の技術により砂鉄から鉄をつくっていた、江戸時代の製鉄所跡です。中断しながらも宝暦年間(1751-64)文化年間(1803-18)・安政年間(1854−60)の三期に操業しており、安政年間の建物跡が整備されています。
「山内(さんない)」と呼ばれる製鉄所の中には製鉄炉(高殿)・事務所(元小屋)・鉄の塊の工場(鍛冶屋)・職人住宅(下小屋)などの諸施設がならび、全体が柵で囲まれれいました。現在では、山ノ口ダムの建設により南半分が水没しており、高殿や元小屋のある北半分のみが保存されています

山口市に山口ダムなんてなかったね。行き止まりになってから気が付いた。
でもどのようにして、迷い込んだのかわかりません。もう一度行くように言われても、行かれないでしょうね。
泣きそうになりながら、来た道を帰ったことは言うまでもありません。
| 山口市 | 11:21 PM | comments (x) | trackback (x) |
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