山口県 旧山陽道を行く 山口県防府市(富海)
山陽道を行く 山口県防府市 富海
防府市富海です。富海は海水浴でよく使いました。
昔し、南沙織の曲で17才(だれもいない海、二人の・・・)と言う曲の詩舞台が、防府市富海です。
山陽道富海PAからの富海の風景です。
PAの富海の説明文です。
「富海」の由来
正治2年(1200年)の「阿弥陀寺坪差」に「富海」、「富海里」、正申2年(1325年)の「国衛文書」に「富海保」とあり、法華寺の免田があったという。今川貞世の「道行振」に「此海づらは波いと高し、是より外の海になりぬとぞ申める。やがて浦の名をも外の海ともいうなり」とある。慶長5年に富海村とあり、以後徳山藩領であった。「風土誌」に
「この富海は外ノ海で都濃郡の内海に対するもの」といい、「地名淵鑑」も同じ「外の海」であるが、これは「娑婆(佐波)の内海に対するもの」としている。
山陽自動車道 富海PAの説明より
富海の山陽道の街並み、昔は宿場で大変にぎわっていたそうです。
本陣の門
山陽本線の踏み切りの横にある自転車屋の建物です。なんかレトロを感じます。
床屋の建物もレトロです。
国津姫神社、海の女神を祭ってあるそうです。海のすぐ近くにある鳥居です。
昔から富海は、漁業や海運が盛んでした、今の漁船です。
椿峠にある、周防国郡境の碑です。(東都濃郡、西佐波郡)と書かれています。
2005,03,06