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Slow FOOD
山口県の伝統食・伝統食材
 山口県の食文化を考えます。 
伝統食・伝統食材の継承をこのサイトで再認識できることまた、再発見していただきたいと考えます。
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食と農業を考えます。 
  ife+的に、現代の食と農業を考えます。安心・安全・新鮮な食とはなにか、なぜ今このことが言われ始めているのか、多面の視野からこのことを取らえていくことを目的にします。
世界を駆け巡ってきた野菜の伝播の歴史
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蔬菜と野菜
蔬菜と野菜は今では同じ意味ですが、昔は栽培される野菜のことは、蔬菜(そさい・やさい)といわれいたそうです。

今の野菜(やさい)は栽培されていないものを食用できる今の山野草を野菜(やさい)と呼んでいたということでです。

そうですよね、、昔の野菜辞典は蔬菜辞典と書いてありました。中国でも野菜のことを蔬菜といいます。

今、私達の食べている野菜はほとんどが、明治以降に日本に入ってきたものです。野菜の伝播の歴史は野菜辞典を参考にしてみて下さい。昔の私達の食生活を考えさせられることが多くあるはずです。



| スローフード | 05:53 PM | comments (x) | trackback (x) |
お漬物の歴史


 発酵の本を読んでいました、漬物に関する文章を目にしました、そこには漬物についての発酵学的な文献が多く載っていましたが、その中に、漬物は昔、野菜を保存するために海水に漬け、保存していた文章が載っていました。


野菜を海水に漬けると、塩分が低いために乳酸菌発酵が起こりこれを利用したものが漬物に変化していったそうです。

自然とその恵みを利用した素晴らしい食べ物それが漬物だと感じました。

| スローフード | 09:49 PM | comments (x) | trackback (x) |
肉食から野菜を中心としたベジタリアンの問題
 ベジタリアン・粗食がダイエットにいいともてはやされ、麦を主食にしてきたアメリカで野菜を中心とした食生活が推奨されてきています。

 過食による生活習慣病の問題、あるいわ肉は農業生産コスト面の問題もあります。

アジア的食事は、過去の歴史の中で育まれた発酵や麺などの食文化の面で食のバランスを最低限維持してきました、これは過食により生じる生活習慣病を発生させませんでした、しかしアメリカで急速な食の野菜化は、食文化の土台のない土壌に新たに持ち込まれたものです。

「食文化」という面でみると、アミノ酸バランスを整える食習慣の土台のない上で草食が導入されることは過食や肥満に悩むヒトにとってこれを解消することが可能であるかもしれませんが、必須アミノ酸の摂取不足が新たな問題を生む可能性があります。

 
日本の食文化の重要性を私達は真剣に見直す必要があります。

| スローフード | 06:41 PM | comments (x) | trackback (x) |
日本の食
日本人の食生活の変遷をみると、過渡期、変化してきた時代及びその背景があります。
その歴史を時代背景とともに知る必要があります。

旧石器時代から縄文時代までの数十万年は、狩猟、漁労による自然採取型の雑食が続きました。
自然採取生活・・・自然植物食(ドングリ、トチ、クルミ、クズ、ワラビ)
紀元前300年から400年ころに、大陸から九州に伝えられた、農耕を中心とした定住生活が始まりました。
 焼畑農耕・・・雑穀、イモ類
紀元後300年頃の古墳時代、水田稲作農耕文化が成立しました、この頃から、玄米中心の安定した食生活が始まり、主食・副食の概念ができました。
 サトイモ、アワ、ヒエ、ソバ、マメ、ムギが大陸から伝来しました。

(隋・唐の文化の流入)
酥、牛酪が百済から伝来しました。

538年に百済から仏像、経典が献上され仏教が伝わりました。

675年に、仏教の殺生禁断の教義により、天武天皇が、牛、馬、犬、猿、鶏の肉食を禁止する発令がなされました。これから明治に至る1200年間、日本人のたんぱく源は、肉にかわり魚介類が中心になりました・そのため、隋・唐のころに伝えられた、牛乳・乳製品を摂取する習慣まで無くなってしまいました。

630年から894年に遣唐使が10数回派遣され、唐菓子が伝えられました、米粉、小麦粉を利用し成型し、蒸したり揚げたりしたものです、そうめん、うどん、せんべい、かりんとうなどの基だといえます。また貴族などの上流階級の嗜好品となりました。

醗酵食品、乳製品もこのころに伝えられました。調理法法も発達し、煮る、炊く、蒸す、膾(なます)、羹(あつもの)、漬物、揚げ物など料理方法も伝えられました。
 貴族など上流階級は蒸した強飯(こわいい)、庶民は炊いた飯でしたが。
平安期になって、強飯はオコワと呼ばれ、天皇の供御(くご)、節会(せちえ)庶民の炊いた飯は、水分の多い汁粥と、水気の少ない固粥(かたがゆ・姫飯)になり、平安後期に硬粥が普及します。

鎌倉時代に、武士の戦陣食として、干魚、海藻、梅干しなど保存食が発達します。

鎌倉初期(1200年)に臨済宗の栄西、曹洞宗の道元が宋から禅宗が伝えられました、これが禅林料理、後の精進料理として発達しました、またこれにより、味噌・醤油・豆腐・饅頭などが一般にも普及しました。

鎌倉中期から、稲作の裏作として麦栽培が盛んになり、食事の回数も朝廷・公家の間で2食から3食の習慣が生まれました。

臨済宗の栄西の持ち帰ったお茶は、室町中期に千利休により茶の湯として大成し、温石(おんじゃく)に由来する軽い食事の懐石料理が生まれ、さらに贅沢な酒宴の会席料理が現れ、日本料理の主流を形成しました。
中国の普茶料理、長崎の卓袱料理(しっぽくりょうり)も日本料理に大きな影響を与えています。
室町後期に誕生した日本料理には、日本人の食に対する遊び心が生きています。
これはこのころの、生産量の劇的に伸びたことに由来します。

安土桃山時代にヨーロッパという異文化との接触で、天ぷら、カステラ、タルト、金平糖、カルメル、パン、鶏卵などが南蛮料理、南蛮菓子としてつたえられた。

1637年に島原の乱が起こり、ポルトガル船の来航禁止とキリスト教弾圧の為の鎖国により人々は肉食禁忌(きんき)の食生活にもどされる。

江戸中期には、日本独特の和食が完成する。18世紀の後半になると、料理茶屋が続々と誕生し、うどん、そば、鮨、天ぷら、蒲焼などの屋台が普及しました。
中国料理、フランス料理が宮廷料理から大成したのに比べ、日本料理は町人文化より芽生えた料理といえます。

慶応3年(1867年)に、王政復古の大号令とともの肉食禁止令が廃止されました。
明治5年には明治天皇が肉食を奨励し、宮中の正餐はフランス料理になりました。

注.仏教には、本来は食べ物のタブーはありませんでした、生き物を殺したり、傷つけたりすること恐れる。675年に、天武天皇が、牛、馬、犬、猿、鶏の肉食を禁ずる勅令を配布しました、これは仏教の教義により殺生禁断、獣肉食禁止という日本的な禁忌(きんい:主として宗教的な理由によって避けることでタブーとよばれる)で、日本人の穢れ(けがれ)感を利用している。また、その後の殺傷禁止、放生令の実態は以下のような内容に起因する、
@主として飼育動物の対象
A野生動物は外されている、とくに牛、馬は、農耕、軍事、輸送に有効であり殺してはならない動物であったからである

| スローフード | 02:04 PM | comments (x) | trackback (x) |
土産土法(どさんどほう)
日本ほど、新鮮な食材が容易に手にはいる国は、珍しいといわれています。(フード・マイルズが近い日本ならでの利点です )地元で取れたものを、もっとも理にかなった方法で料理する日本人知恵の知恵とされています。

 各地に数多くの郷土料理を作った日本料理特有の考え方を言います。

日本料理の特徴は
1.発酵技術の発達、味噌・しょうゆ・食酢のような調味料の発達。
2.漬物・塩辛・納豆・鰹節などの発酵食品。
3.長期保存の食材の発達(漬物等)。
4.各国(中国・欧米等)の料理技術の巧みな取り込み(日本の風土にあったもの)。
5.粒食(米)・粉食(麦)を両立させる。
6.魚料理の発達及びそれを支える包丁技能の発達。
7.精進料理・会席料理・懐石料理の発達。
8.各地区独特の料理文化の発達。
9.階層分化(公家文化・武家文化・町文化・魚・農文化)の融合。
10.年中行事(四季の認識)。

これらの文化を受け継ぎ、変化を取り入れてきた、郷土食をより若い世代に引き継ぐ為に郷土食文化の現代に適した創意工夫・変化が必要であろうと考えます。

| スローフード | 10:01 PM | comments (x) | trackback (x) |
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