八代の里 半田弁天湧水 山口県の名水

八代の里 半田弁天湧水
八代の里 半田弁天湧水 山口県の名水

 八代の里 半田弁天湧水

入り口の看板には、弁天様(弁財天)は七福神の一人で中世以降、
水の神様・財をもたらす神様として、農民や商人達に愛されて
きました。

半田弁天は、古くから農耕文化発展の水神様として、地域住民に
崇められ、年1回の祭事が行われています。

弁天様の水で銭を洗うと財をなすとも言われています。

おいでませ 八代の里 半田弁天湧水の看板より
秋芳八代振興会 県・町環境グランドワーク活動支援事業

八代の里 半田弁天湧水 山口県の名水

水源付近

山口市小郡方面より、弁天池を過ぎてさらに三隅方面に向かうと道端にあります。
この道より、細い道に入り約100mゆくとありますが道は細く車ではすれちがう
ことができません、休日には九州からも水を汲みにくるひとが多く、混雑する
そうです。

八代の里 半田弁天湧水 山口県の名水

山口県美祢市秋芳町「半田弁天湧泉」


山口県の名水記事

山口県の名水
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2020/05/09 12:00
山口県の名水 万葉の泉(まんようのみず) 山口県平生町尾国湾(ひらおちょうおぐにわん)は船旅の拠点として風待ち・潮待ち・補給・給水等ができるよい港でした。(尾国湾の事は万葉集に記載されています。このような事から、上質な泉(天然水)として親しまれてきました。天平8年6月(762)年 遣新羅使 阿部継麻呂の一行が当時沖 可良の浦といった尾国湾に船泊まりしたことが万葉集巻第十五に記録されている。可良の浦は、千三百年の昔も長い船旅の途中における風待ち、潮待ち、補給・給水のできるよい港であったことが、今日の地形や遺跡からも推測できる。東北に向かえば「名に負う鳴門の渦潮、以波比島(祝島)は指呼の間、雑石海峡を出ずれば「大船のゆきま」と歌われる佐波の海(周防灘)。まさに可良は、万葉の交差点であった。
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2007/05/27 12:00
山口県の名水 八代の里 半田弁天湧水 入り口の看板には、弁天様(弁財天)は七福神の一人で中世以降、水の神様・財をもたらす神様として、農民や商人達に愛されてきました。半田弁天は、古くから農耕文化発展の水神様として、地域住民に崇められ、年1回の祭事が行われています。弁天様の水で銭を洗うと財をなすとも言われています。
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2005/05/01 12:00
山口県の名水 名水と財宝 名水と財宝、山口市の名水 柳の水は大内氏 宇部市の霜降り山の名水は厚東氏の居城 霜降り山城の地 因縁といいますか、厚東氏は、大内氏に滅ぼされてしまいました。この両地に共通するものは、財宝伝説です。名水のあるところ、栄枯盛衰の歴史があり、財宝伝説がありました。名水の財宝面白い取り合わせです、歴史ってこんなものかもしれませんし、歴史とともにあります。
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2005/04/24 12:00
山口県の名水 山口県の名水と山頭火、山口市の名水 山口県で名水を語る時、漂白の俳人種田山頭火を抜きに語ることはできません、山頭火の別名を「水飲み俳人」といいます、山頭火の流転のその日暮らしの旅で、水しか飲めないからだが、そのかわり水ならすべてがわかると言っているのです。彼の育った環境が育てた感性とも言えます。水の味をきき、その香りを理解し、音にまでその感性を聞くことができました。晩年は「水音」を聞くだけで味や香りが理解できたと言われています。
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2005/04/10 12:00
山口県の名水 柳の水、山口市の名水 柳の水 山口で重要なお茶会がある時に使われている名水だそうです、福岡からわざわざ、喫茶店の方が水を汲みにくるとおっしゃっていました。山口大神宮前の道を県庁方面に上がっていきます、カブミラーのあるところを右におれ、川沿いに上がっていくと、五十鈴川ダムがありますこれを渡り奥へ行くと農家がありその農家の奥の右手にあります。水量はさほどありませんでした。
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2005/04/10 12:00
山口県の名水 霜降山鉱泉、山口県宇部市郊外の霜降山中腹、深層地下151mから直接採水した鉱泉水で、天然ミネラルをバランスよく含む国内でも数少ない『生』のミネラルウォーターだそうです。